台中滞在記【53ホテル、宮原眼科、彩虹眷村】※2023年9月訪問

大好きで何度も訪れた台湾ですが、台中は初訪問。

メジャーな観光地を中心に回ってきました。

※この記事の内容は2023年9月現在の情報です

ホテルは立地最高の「53ホテル(台中寶島53行館)」

ヨシ美
ヨシ美

最高なのは立地だけではない! 使い勝手が良く過ごしやすいホテルでした!

ホテル予約サイトを巡回し、立地の良さとホテルの評判から「53ホテル」を選択。今回はagodaから予約しました。

日本のホテルにあるような部屋着はありませんでしたが、珍しくウォシュレットがありました。

また、浴室備え付けのドライヤーの他に、風力が強いドライヤーが部屋にもありました。コップやタオル、スリッパの色が分かれていたのも嬉しかったです。

朝食は近くのディープな朝市で食べたかったので素泊まりプランにしました。朝市以外にも、美味しいモーニングのお店が近くに何店かあるようです。

また、我々は利用しなかったですが、地下のコインランドリーは無料で使えるということでした。

宮原眼科のアイスをホテルへテイクアウト!

53ホテルの道路を挟んで向かい側に、有名なスイーツ店「宮原眼科」があります。

人気のアイスはいつも列が出来ているのですが、比較的混んでいない時間帯を見計らって買いに行けて、ホテルの部屋でゆっくり食べることができました。

宮原眼科のアイスは、「第四信用合作社」でなら待たずに座って食べられる!

宮原眼科から徒歩3分の場所に、姉妹店のアイス屋さん「第四信用合作社」があります。

こちらにはイートインスペースがあり、本店ほど並ばないということで、混雑回避策としてチェックしていましたが、本店に行けたので今回我々は行きませんでした。

「第四信用合作社」は、銀行をリノベーションした建物で金庫やカウンターも当時のものが置かれているそうです。チラッと覗いて見るだけでも見ておきたかったなぁとちょっと後悔しています。

宮原眼科で上品なお土産をGET!

ホテル向かいにある「宮原眼科」は、台中のことを調べていると必ずヒットしてくるオシャレなスイーツ店です。

正直、行く前はさほど期待しておらず、「ホテルから近いし行っとくかな」ぐらいだったのですが、入った瞬間に店の世界観にぐいぐい惹かれてつい長居してしまいました。

宮原眼科は、日本統治下だった1927年(昭和2年)、日本人医師の宮原武熊氏が眼科として開院。

戦後「台中市衛生院」として国民党政府に管理された後、パイナップルケーキで有名な日出グループがリノベーションし、オシャレなスイーツ店となって生まれ変わりました。

個包装のお菓子やお茶もあり、ちょっとオシャレなお土産に最適でした。

台湾新幹線(HRS)の「台中高鉄駅」と台湾鉄道の「台中駅」は、結構遠い!

「53ホテル」や「宮原眼科」は、台湾鉄道の「台中駅」から徒歩3分のところにあります。

しかし、台湾高速鉄道の「台中高鉄駅」とは別の駅の上、その二つの駅は結構離れているので注意です。

台湾高速鉄道の台中高鉄駅から、台湾鉄道の台中駅までは、車や電車で20~30分ぐらい掛かります。この区間を台湾鉄道とUberタクシーで移動したので、掛かった時間や料金を残しておきます。

乗車所要時間料金備考
台湾鉄道
(新烏日駅⇔台中駅)
13分15台湾ドル/1人
(約70円)
20分おき
Uberタクシー25分
(約8.7km)
367台湾ドル
(約1688円)
5分以内に来る
台中高鉄駅⇔台湾鉄道台中駅間の移動。目安に。

インパクト大の「彩虹眷村(さいこうけんそん・レインボービレッジ)」

ヨシ夫
ヨシ夫

彩虹眷村を彩った、100歳の元気なおじいさんにも会えました!

ここ数年で台中の人気観光スポットとなった彩虹眷村。一度見たら記憶に残るこれらのカラフルな絵は、一人のおじいさんによって描き始められたということです。

絵そのものにも、ここに壁画が誕生した背景にも興味があったので、YOSHI家もタクシーで行ってきました。滞在時間30分で全体を見て回れました。

彩虹眷村の背景

眷村(けんそん。軍人村)とは、第二次世界大戦後と国共内戦の後、中国大陸を追われて台湾へ渡った100万人を超える人々(外省人)に対して、居住地として提供された村のことだそうです。

彩虹眷村は、2000年前後に老朽化と再開発のため取り壊しが決まっていましたが、住民の黄永阜さんが描き始めたポップな壁画が話題となり、観光スポットとなって村は一時保存されることになりました。

その後、壁画が塗りつぶされるなどのトラブルがあって見学できない時期もありましたが、我々が訪問した2023年9月時点では見学が再開されていて、多くの観光客で賑わっていました。

絵を描かれた黄永阜氏は1924年生まれで今年100歳とのこと(台湾での年齢の数え方で、生まれた時点で1歳)。一緒に写真を撮って寄附をすると1枚ずつ絵をプレゼントしてくださいました。

彩虹眷村の壁画がメディアに取り上げられたことで村は取り壊されず、さらにSNS映えという形になって新しい世代が発信し、多くの人がこの村の存在や背景を知ることに。私もその一人。教科書に載っていた歴史と現在とが地続きであることを実感させられました。

おじいさんが生み出す時空を超越したパワーに驚かされます。

そして、現在も国共内戦に端を発する台湾有事の可能性が憂慮されていますが、実際に訪れると、「どこか遠いところのニュース」ではなく、「あの場所で起こっていること」という意識になります。旅の醍醐味です。

YOSHI家反省会

あと何年か経つとガラっと台湾の風景が変わってしまうかもしれない、とちょっぴり切ない思いを携えて訪問しましたが、相変わらずパワフルで明るい台湾がそこにありました。

言葉は違うけれど、日本とも歴史的・地理的つながりが深い台湾。たった3時間で行けるし、台湾新幹線も日本の新幹線と同じぐらい便利だったので、ちょっと実家に帰るぐらいの感覚でまた別の街にも訪問しようと計画中です。

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